ヨハン・ハルヴォルセン(1864~1935)は、ノルウェーの指揮者、作曲家、ヴァイオリニストである。
ノルウェーが実質的にスウェーデンの統治下にあった1864年、ノルウェー首都クリスチャニア(現在のオスロ)に程近いドランメンで生を受ける。年若き頃からヴァイオリニストとしての頭角を現すと、弱冠21歳でノルウェー南西部ベルゲンの音楽協会「ハーモニエン」(現在のベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団)のコンサートマスターに就任したのち、ライプツィヒ音楽院でアドルフ・ブロツキーに師事して2年間ヴァイオリンを学んだ。
その後指揮者に転向すると、1893年から1899年まで音楽協会「ハーモニエン」の常任指揮者とベルゲンの劇場「国民舞台」の音楽監督を兼任、1899年から1929年までは「クリスチャニア国立劇場」の音楽監督を務めるとともに、この期間で作曲家としても数多くの劇付随音楽をほぼ独学で書き上げた。
また、1894年にはエドヴァルド・グリーグの姪であるアンナ・グリーグと結婚している。
ハルヴォルセン曰く、《交響曲第1番》の作曲に着手したのは1923年1月、彼が58歳のときであった。ここでは、作曲家としてのキャリアを長年積み重ねてきた彼が、晩年に至るまで「なぜ交響曲を書かなかったのか」という点に着目したい。
そもそも、古典派以降の時代で「交響曲」に分類される曲は、ソナタ形式の楽章を1 つ以上含んでいることがその大きな特徴である。この「ソナタ形式」とは、曲前半に対照的な調性で提示される2つの主題が、曲後半では似通った調性で再現され、これによって主題間に生じていた緊張が和らぐ、という曲形式のことを指す。対立とその緩和が曲全体の物語を形成するという点において、ある意味では「交響曲とはソナタ形式である」と言っても過言ではないだろう。
しかし、ハルヴォルセンが1923年までにソナタ形式で書き上げていた曲はわずか6曲に過ぎなかった。そのうち《弦楽四重奏曲》および《ヴァイオリン協奏曲》が彼自身の手によって破棄されていることも特筆すべき事実であろう。つまり、作曲をほぼ独学で学んだ彼にとって、高度な作曲技法が要求されるソナタ形式はとても高い壁であり、すなわちそれが晩年に至るまで交響曲を書かなかった大きな理由である、と言うことができるだろう。
その一方で「なぜ交響曲を書いたのか」という点に着目してみると、彼が148作目にして交響曲の作曲に至った背景が見えてくるのではないだろうか。
20世紀初頭のノルウェー国内は、第1次世界大戦の影響や1914年以降に行われた通貨の大量発行などによってインフレに陥っており、物価が急激に上昇していた。しかし、ハルヴォルセンが音楽監督を務めるクリスチャニア国立劇場は自治体からの十分な助成が得られず、劇場付きオーケストラ「クリスチャニア音楽協会」の楽員による賃上げ要求に応えることができなかった。1919年、賃上げ要求の度重なる拒否を受けて、楽員の多くは「フィルハーモニー協会」(現在のオスロ・フィルハーモニー管弦楽団)として独立する。その結果、楽員が大幅に減少したクリスチャニア国立劇場では以前のような大編成でオペラを上演することが叶わず、また年間8回開催されてきた「交響曲コンサート」は言うまでもなく休止を余儀なくされた。
こうした状況により、図らずも音楽監督としての立場を超えた作曲活動に費やす時間が確保できるようになっていたことこそが、彼が自身の作曲家人生における最後にして最大の挑戦である「交響曲」の作曲に至った要因である、と考えることができるのではないだろうか。
その作曲は挑戦であると同時に、彼にとっては大いなる喜びでもあったようである。彼は娘アーセに宛てた手紙で、19世紀のロマン派音楽の語法で書き進めている《交響曲第1 番》について次のように語っている。
日に日に明るくなっていくことが、とても嬉しいのです……。この嫌な冬を払拭するために、ベートーヴェンを屋外に叩き出すような気持ちで作曲しています。素敵な五線譜をたくさん買ってきて、今はスケッチを始めているところです。さしあたり交響曲の第1楽章をスケッチで書き上げました。現代的ではないという理由で現代の聴衆は好まないかもしれませんし、ひょっとしたら後世でも評価されないかもしれません。しかし、私はそれを見越しながら、現在も未来もどうでもいいような気分で書いています。(1923年1月24日)
初稿が完成したのは奇しくも彼自身の59歳の誕生日、1923年3月15日のことであった。
その1ヶ月半後、ハルヴォルセン自らの指揮とノルウェー人を中心とした150名の大編成オーケストラによって初演が行われた。これは同時に、クリスチャニア国立劇場にとっては途絶えていた「交響曲コンサート」の復活でもあった。
また、彼は初演時の新聞インタビューで自らの交響曲について次のように語っている。
この交響曲は特定の表題を持ちませんが、私は「すべての音楽は標題音楽である」と考えています。(中略)私がこの交響曲の意味するところを書くと、それは人々に誤解を与えてしまうでしょう。しかし、私の交響曲のすべては私自身の人生の経験や気分を表しています。そして、自分の作品が非常に満足のいくものであると作曲家自身が感じ、またその作品が自己満足ではなく聴衆に影響を与えるのなら、それは作曲家冥利に尽きると言えるでしょう。(1923年5月1日)
作曲家としても指揮者としても、そして音楽監督としても、ハルヴォルセンにとってこの交響曲がとても大きな意味を持っていたことは間違いない。また、この交響曲が「運命」あるいは「運命交響曲」の通称で広く知られるベートーヴェンの《交響曲第5番》を先駆けとする、ハ短調に始まりハ長調で終わる「暗から明へ」「苦悩から歓喜へ」という楽曲構成をとっているのも、単なる偶然ではないだろう。
まさに、厳しい寒さの冬を乗り越えた先で雪解けとともに訪れる、暖かな春を待ちわびていたかのような交響曲である。
ハルヴォルセンはその後、《交響曲第1番》と対をなすとされる《交響曲第2番》や、2度映画化されるなどノルウェーで広く愛されている《クリスマス・スターへの旅》の劇付随音楽などを書き上げたのち、71 歳でその生涯を閉じた。
第1楽章 Allegro non troppo ハ短調 6/8拍子 ソナタ形式
ヘミオラを用いた第1主題が1stヴァイオリンによってハ短調で提示されると、全合奏に広がって新たな推移主題とともに頂点を形成する。続いてオーボエによって変ホ長調で奏でられる第2主題は、同じ音高が三度繰り返されるのが印象的である。主題が他声部の提示する動機と絡み合いながら盛り上がりを見せると、展開部では2つの主題の断片と付随する動機が、音価を変え、奏法を変え、時には音列を反転させながら自由に展開されてゆく。続く再現部においては、第1主題がやや声部を入れ替えながらより複雑な形で再現されると、突如として全休止し、第2主題がチェロによってハ長調で歌われる。やがてティンパニの打ち鳴らす属音とともに結尾部へ突入すると、2つの主題の断片がハ長調で鳴り響き、最後は劇的な和声進行を経てハ長調の主和音で決然と締めくくられる。
冒頭で提示される動機「ソ ‒ ミ♭ ‒ レ ‒ ド」が音価や調性を変化させつつ広く登場し、楽章全体に統一感を与える役割を果たしている。
第2楽章 Andante 変ホ長調 3/8拍子
生前に撤回された《ヴァイオリン協奏曲》第2楽章の転用と考えられており、冒頭で弦楽によって提示される変ホ長調の暖かな主題は、協奏曲でソロヴァイオリンによって提示される主題に由来している。オーボエの旋律と怪しげに下降する半音進行の動機が絡み合うと、牧歌的なクラリネットソロを経て各旋律の断片や動機をもとに曲は展開してゆき、冒頭の主題が朗々と再現されると最後は静かに消えゆく。
形式にこだわらず動機の展開によって音楽を紡いでゆく、実にハルヴォルセンらしい緩徐楽章である。
第3楽章 Scherzo Lento – Allegro con spirito ト短調 6/8拍子 複合三部形式
靄がかった序奏ののち、下降音型の主題と木管楽器のソリスティックな主題によって6/8拍子の主部が展開される。続く中間部はノルウェー南西部の民俗舞踊ハリングの音楽が基になっている。ハリングはヴァイオリンによく似たノルウェーの伝統楽器ハーディングフェーレで演奏されることが多く、その音色は4本の演奏弦とは別に駒の下に張られている4~5本の共鳴弦によって生み出される独特の響きが大きな特徴である。細かな装飾音符やトリルがふんだんに用いられた民俗的な旋律が2/4拍子のカノンによって重なりつつ、共鳴弦の響きを模した声部なども加わり音楽は盛り上がりを見せる。やがて旋律に3連符が混ざるようになると緩やかに6/8拍子の主部へと回帰し、序奏と主部を組み合わせた結尾部で可愛らしく閉じられる。
第4楽章 Finale(Rondo) Andante – Allegro deciso ハ短調 2/2拍子 ロンド形式
深い森のなかで角笛の音が聴こえてくるような幻想的な序奏ののち、ヴィオラによって勇壮なロンド主題が提示される。このロンド主題に挟まれる形で、付点のリズムが跳ねる第1主題と映画音楽のごとく感情的な第2主題が姿を現すと、曲は唐突に全休止する。低音弦楽器と大太鼓が蠢くなかを第1楽章の2つの主題が様々な楽器に現れると、徐々にロンド主題へと回帰してゆき、全曲を通して初めて登場するハープの分散和音とともに第2主題が束の間の頂点を築き上げる。ティンパニの連打に導かれて結尾部へなだれ込むと、序奏で聞かれた跳躍音型とロンド主題の断片が響き渡るなか、曲はハ長調へと行き着き、小太鼓とともに最後まで一気呵成に駆け抜ける。
(文責:川田泰義)
「交響曲第1番」楽曲解説図
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この図および相関図は、九州大学における研究の一環として試みられているものです。
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九州大学 大学院 芸術工学府 修士2年 村里 暖
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