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九州大学芸術工学部フィルハーモニー管弦楽団第52回定期演奏会

目次

編集後記

アンケート

ご挨拶

顧問 山内勝也(本学准教授)

本日は、ご多忙中にもかかわらず、九州大学芸術工学部フィルハーモニー管弦楽団第52回定期演奏会を、ご来場またオンラインでご鑑賞いただき、誠にありがとうございます。

新型コロナウィルスの影響で、一昨年の第50回記念定期演奏会は開催中止、昨年の第51回定期演奏会は当初の予定から2ヶ月延期、さらに開催形態を無観客配信公演に変更など、思い通りの活動ができない苦しい日々が続いています。1年ごとに代替わりしていくという大学オケの活動継続は、大変難しい環境におかれています。また、大学生の若人にとって、大きな成長を遂げる1年1年は大変貴重な時間であり、活動の制約が彼らに与える影響の大きさは想像を超えるものがあります。しかしその中でも、諦めず、慎重な注意を払いつつもできる限りの表現活動を模索し、こうして定期演奏会を開催するにまで努力を重ねた団員たちの姿を、顧問としても非常に嬉しく思っております。まだしばらくは活動に難しさが予想されますが、引き続き皆様からの芸工オケへのご指導ご協力をいただければ幸甚でございます。

演奏会の開催にあたり、トレーナーの先生方、賛助出演の方々をはじめ、団の活動にあたって様々に関わる数多くの方々のお力添えを賜りました。重ねて御礼申し上げます。

本日は、芸工オケの団員たちが披露する音楽をどうぞごゆっくりとお楽しみください。

部長 伊藤 大智

本日は九州大学芸術工学部フィルハーモニー管弦楽団第52回定期演奏会にご来場いただき、誠にありがとうございます。本日の演奏会では、ナショナリズムが高まりを強めた時代にフランスとノルウェーで書き上げられた隠れた名曲をお届けいたします。

今回は3年ぶりとなる、お客様をお招きしての演奏会であり、皆様に音楽を直接届けられることを大変嬉しく思っております。また、本演奏会は遠方にお住まいの方にも私たちの音楽を届けたく、配信でもお送りしております。西日本初演となるハルヴォルセンの交響曲第1番については、初演の重みを噛み締めながら曲と真摯に向き合い、練習を重ねてまいりました。団員一同、気持ちを込めて演奏いたしますので、どうぞ最後までごゆっくりお楽しみください。

最後になりましたが、今回の演奏会を開催するにあたり多大なご尽力を賜りました指揮の水戸博之先生、トレーナーの先生方、賛助の皆様、広告掲載によりご支援いただいた皆様、スタッフの皆様、OB・OGの皆様、そして日頃から当団にご協力いただいたすべての皆様に、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

指揮者紹介

水戸博之

1988年北海道江別市出身。東京音楽大学及び同大学大学院作曲指揮科(指揮)を修了。在学中の6年間、給費特待奨学生に選ばれる。修了後は広上淳一、パーヴォ・ヤルヴィ、川瀬賢太郎、山田和樹各氏のアシスタントを務め研鑽を積む。これまでに札幌交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、中部フィルハーモニー交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、広島交響楽団などに客演。

また合唱指揮者として東京混声合唱団や新国立劇場合唱団と数多く共演する他、音楽スタッフとして新国立劇場、日生劇場、藤原歌劇団のオペラ公演に参加する。2023年島根県民会館主催の「しまね県民オペラ2023」にて、G.プッチーニ作曲《ラ・ボエーム》を指揮する。

現在オーケストラトリプティーク常任指揮者、東京混声合唱団コンダクターインレジデンス。

トレーナー紹介

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  • 総合トレーナー楠本 隆一

    1981年、武蔵野音楽大学大学院ピアノ科修了。故早川穂積、鈴木 洋、ジャン・ミコオ、ウィーンにてルドルフ・ケーレルの各氏に師事。これまで20回以上の自主リサイタルを開いている。この間、大阪フィルハーモニー・九州交響楽団・北九州交響楽団・福岡市民オーケストラなどと多くの協奏曲を演奏。室内楽の演奏も多いが、伴奏者としても中澤 桂、勝部 太、大久保 真など第一級の歌手の伴奏を担当してきた。

    指揮者としては1991年、急病の指揮者の代役としてコレペティから演奏会前日より指揮台に立ちオペラガラコンサートを指揮。以来、北九州交響楽団、別府市民交響楽団などを指揮。北九州市民オペラ「椿姫」公演を指揮。2000年より01・03・06年に渡欧。ハンガリー交響楽団指揮マスタークラスにてM.ディートリッヒ教授のもとで研鑽を積む。03年には同クラスにてチャイコフスキーのピアノ協奏曲ソリストとしても招かれた。2007年1月には九州交響楽団を指揮。

    北九州市、湧きあがる音楽祭では第1回から第8回まで指揮者を務めている。現在、大分県立芸術文化短期大学音楽科非常勤講師。北九州音楽協会理事。飯塚第九の会指揮者。2018年より北九州フロイデコール指揮者。

  • 総合トレーナー吉浦 勝喜

    元九州交響楽団コントラバス奏者。福岡市生まれ。東京藝術大学を経て1982年九州交響楽団に入団、2017年5月同楽団を退団。

    コントラバスを永島義男氏、室内楽を故ルイ・グレラー、海鉾正毅の両氏、指揮を笠原勝二、下野竜也の両氏に師事。

    藝大在学中、小林道夫氏指導の藝大バッハカンタータクラブに所属、バッハをはじめとするバロック音楽演奏の研鑽を積む。

    現在、幼児教育の現場に携わりながら、コントラバス演奏、各地の市民オーケストラ・大学オーケストラ・吹奏楽団等の指揮・指導を行う。九州ベースクラブ会員、ISB(国際コントラバス奏者協会)会員。

  • 弦楽器田邉 元和

    作陽音楽大学(現くらしき作陽大学)卒業。1998年くらしき作陽大学弦楽合奏団と共演。1999年日演連推薦新人演奏会にて九州交響楽団と共演。現在、九州交響楽団ヴィオラ奏者として活躍し、くらしき作陽大学非常勤講師、オーケストラトレーナーとして後進の指導にもあたっている。

    アクロス弦楽合奏団メンバー。

  • 木管楽器大倉 安幸

    1973年より九州交響楽団オーボエ奏者を務める。後進の指導や指揮者としても人気がある。2012年3月まで、福岡女子短期大学音楽科教授。毎年、筑紫野市文化会館に於いて、親しい音楽仲間とアンサンブル福岡を結成し、多彩で、楽しい雰囲気の音楽界を作り上げている。

  • 打楽器長谷川 真弓

    13歳より打楽器を始める。打楽器を小林美隆氏に師事。

    1984年、九州交響楽団に入団。以来、同団に在籍しながら各種アンサンブルの分野でも活躍。九州交響楽団打楽器奏者の黒川英之氏とマリンバ&パーカッションデュオ「ラフロイグ」を結成し、1997年から10年間毎年デュオリサイタルを開催した。2019年10月同楽団を退団

    また、九州大学芸術工学部、西南学院大学、福岡教育大学、福岡大学の各大学オーケストラや福岡学生シンフォニーオーケストラの打楽器トレーナーを長年務めている。

    現在、福岡パーカッションカンパニートレーナー。

曲目紹介

プログラムについて

今回の定期演奏会でとりあげる各曲にはさまざまな関係性が張り巡らされている。

第52回定期演奏会プログラム-人物相関図

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まずは作曲家同士の関係性に着目してみると、サン=サーンスグリーグにはリストという共通の良き理解者がおり、その存在は両者にとって音楽家としての根幹に関わるものであった。また、グリーグとハルヴォルセンは特にグリーグの晩年から没後にかけて深い関わりを持っており、グリーグの追悼演奏会でハルヴォルセンが指揮を務めたことも特筆すべきだろう。サン=サーンスとハルヴォルセンの直接的な関係性は薄いが、ハルヴォルセンと「フランス音楽」の繋がりに着目すると、ノルウェーにドビュッシーの音楽を初めて紹介した指揮者がハルヴォルセンであるなど、注目すべき点は多い。

また、彼らが残した作品には愛国色の強い作品が多いことも、本プログラムのカギである。サン=サーンスとグリーグについては今回演奏する2曲に与えられた表題からも民族主義的な要素を読み取ることができ、またハルヴォルセンについても《交響曲第1番》の第3楽章において彼の民俗音楽に対する大きな関心と理解をうかがい知ることができる。

そのほか、《英雄行進曲》と《十字軍の戦士シグール》第3曲〈忠誠行進曲〉の「行進曲」としての趣向の違いや、「英雄」を表すとされる変ホ長調の扱い方も注目に値する。加えて、演奏会前半で取り上げる2曲が表題を伴った 「標題音楽」であるのに対し、後半の《交響曲第1番》は作曲者自身が「標題音楽」であるとしながらも表題を与えなかった作品であり、この対比も興味深いところである。

ここまで、今回のプログラムに見出だすことのできるさまざまな共通点と相違点をほんのわずかではあるがご紹介させていただいた。以下の曲目紹介と併せて、実際の演奏をよりお楽しみいただけると幸いである。

(文責:川田泰義)

  • カミーユ・サン = サーンス(1835~1921)はフランスの作曲家であり、彼は生涯を通してフランス音楽の振興に重大な貢献を果たした。当時先進的とされた作曲形式をいち早くフランスに取り入れ、劇音楽が主流であったフランス楽壇に器楽音楽を再興するために国民音楽協会を設立した。また彼の作風は若年期に様々な音楽家から影響を受けている。しかしながら愛国心の強い作曲家でもあり、フランス音楽に根付いた表現を感じ取ることができる。

    今回取り上げる《英雄行進曲》は普仏戦争と深く関わりがあり、サン = サーンスは元々戦費調達を目的としたコンサートで演奏するためにカンタータを作曲した。のちにこのカンタータから抜粋し、彼自身が 2 台のピアノ版として作曲したのが《英雄行進曲》である。これを元に管弦楽版が作られ、国民音楽協会の第 1 回演奏会で演奏された。普仏戦争の敗北に打ちひしがれた国民を愛国的なマーチで鼓舞するとともに、その戦争のため命を落としてしまった者を追悼する彼の意図があったと考えられる。犠牲者の中には親友である画家のアンリ・ルニョーもおり、ルニョーの死を深く嘆いた彼はこの曲を「アンリ・ルニョーの思い出」に献呈している。

    曲は愛国的な色の強い行進曲である。行進曲としては珍しく、エネルギッシュな弦楽器のサウンドによる序奏から始まり、力強く伸びやかなユニゾンが英雄的な物語の幕開けを示唆する。序奏のあとに小気味良い第 1 主題が木管楽器により提示され、弦楽器がそれを受け継ぐ。その後すぐに分散和音を伴ったシンフォニックな第 2主題がヴァイオリンにより奏でられ、軽快な部分と、交響的な部分とが交互に演奏されながら前半のクライマックスを迎える。やがて次第に静まっていき、繊細で物柔らかな雰囲気を湛えながら中間部へと向かう。

    中間部はゆったりとした 3 拍子に変化する。ハープ、木管楽器、ヴァイオリンの音色が第 1 主題の変奏を穏やかに表現し、それに導かれるように soloトロンボーンが哀艶な美しい旋律を、しかし素朴に、素直に歌いあげる。古くより “ 神に通ずる楽器 ” とされてきたトロンボーンで提示されるこのメロディは、なにか神格的で包容力をもった存在を我々の心に映しだす。その後木管楽器などに引き継がれ、対旋律との絡みを経て膨らんでいくこの旋律こそがこの曲の最大の聴きどころであろう。

    後半部はマーチに回帰し、直前の雰囲気とは打って変わってチェロとコントラバスの旋律が深刻な雰囲気を予感させる。木管楽器による憂いを帯びた旋律が登場し、弦楽器との掛け合いが続く。この暗く重い混沌としたムードのブリッジを抜けると、前半部に提示された小気味良い主題が確固たる威厳をもってよみがえる。この主題ともう 1 つのシンフォニックな主題、そのどちらもが一段とスケールを大きくし重厚な響きを含んで繰り返され、最後は Animato-いきいきと、さらに stringendo-テンポを捲りせきこんで高揚し、力強く幕を閉じる。

    (文責:岩生朋大)

  • エドヴァルド・グリーグ(1843~1907)はノルウェーの国民的作曲家である。

    15歳でライプツィヒ音楽院に留学しドイツ的な音楽教育を受けると、短期間ベルゲンに帰郷したのち、コペンハーゲンに活動拠点を移す。同地でノルウェー国歌の作曲で知られるリカルド・ノルドロークと出会ったことをきっかけに、ノルウェー独自の音楽への関心と愛着が芽生え、ノルウェーへ帰国すると母国の民族音楽や民族楽器について積極的に学んだ。

    グリーグの生きた19世紀末から20世紀初頭にかけてのノルウェーは政治的に不安定な状況にあり、芸術分野では愛国色や民族色の強い作品が多く生み出され、グリーグの作品も次第にノルウェー文化や民俗が色濃く反映されたものとなっていった。グリーグは非フランス人作曲家としてはじめてフランス国民音楽協会の主催コンサートで紹介されたが、これは、民族色に富む彼の作品に同協会の趣旨と共鳴するところがあったからかもしれない。

    劇音楽《十字軍の戦士シグール》は、ノルドロークの従兄にあたるビョルンスティエルネ・ビョルンソンの戯曲の上演にあたってグリーグが作曲した付随音楽である。ビョルンソンとグリーグは『十字軍の戦士シグール』の制作以前にも多くの共同制作を行なっている。二人は国民オペラ『オーラヴ・トリグヴァソン』を共に作り上げるという計画を掲げていたが、同じくノルウェーの文豪ヘンリック・イプセンとの共同制作となる『ペール・ギュント』へとグリーグが傾倒していったことによってこの計画は頓挫した。

    『十字軍の戦士シグール』のあらすじは以下の通りである。

    12 世紀、ノルウェーはオイステインとシグールの兄弟王によって共同統治されていた。ヒロインのボルグヒルはオイステインに恋心を抱いている。その一方でボルグヒルの美しさに魅せられたシグールは次第に想いを寄せるようになる。シグールがボルグヒルを家から連れ出そうとしたことから、2 人の王の間には不穏な空気が流れる。
    舞台は王宮の広間へと移り、兄弟が男として、また王としての素質を比較し争いを始める。争いの判定を委ねられたボルグヒルは、シグールを選ぶ。王として認められたシグールは国外で勝利をおさめることで国としての栄光を手にすべきであると考え、戦士たちの闘志を奮い立たせる。やがて二人の王の政治的緊張が解けると、シグールはオイステインとともに国づくりをするために故郷に残る。

    今回演奏する《劇音楽『十字軍の戦士シグール』からの3つの管弦楽曲》は、1892年に作曲者によって編纂された演奏会用組曲(作品番号 56)である。

    第1曲 〈王の広間にて〉

    編纂前の全曲版では3曲目にあたる第2幕への前奏曲で、兄弟が力競べを行う場面に演奏される。1867年に作曲された《ヴァイオリンとピアノのためのガヴォット》の転用であり、主題はクラリネットとファゴットによって提示される。中間部でフルートとオーボエ、クラリネットとファゴットがそれぞれカノン風に奏でる旋律の一部は、代表作《ピアノ協奏曲 イ短調》や《交響的舞曲集》などでグリーグが多用した短2度と長3度の下降が連続するグリーグ・モティーフであると考えることもできる。

    第2曲 『ボルグヒルの夢』

    全曲版では2曲目にあたる第1幕の間奏曲である。ボルグヒルが悩ましい夢から目覚める場面にて演奏される。低音域の弦楽器による鈍くゆったりとした楽句が続き、やがてヴァイオリンによって旋律が奏でられる。中間部ではボルグヒルが激しい恐怖に襲われ、泣き叫ぶといった不安定な精神状態が曲調の揺れによって表現されている。

    第3曲 『忠誠行進曲』

    全曲版では5曲目にあたる第3幕への前奏曲である。兄弟が和解し、手を取り合って出て行く場面にて演奏される。金管楽器によるファンファーレで始まり、複合三部形式をとる典型的な行進曲である。四声のチェロによって奏でられる厳かな導入部は、後年の《チェロ・ソナタ イ短調》第2楽章の冒頭部に類似している。

    『十字軍の戦士シグール』の初演は、当時としては最大の成功を収め、その後もノルウェーの憲法記念日をはじめとした節目で上演・演奏された。1899年の「クリスチャニア国立劇場」柿落とし公演では初代音楽監督ヨハン・ハルヴォルセンが携わり、劇音楽《十字軍の戦士シグール》の抜粋をグリーグ自らが指揮した。

    (文責:石井杏奈)

  • ヨハン・ハルヴォルセン(1864~1935)は、ノルウェーの指揮者、作曲家、ヴァイオリニストである。

    ノルウェーが実質的にスウェーデンの統治下にあった1864年、ノルウェー首都クリスチャニア(現在のオスロ)に程近いドランメンで生を受ける。年若き頃からヴァイオリニストとしての頭角を現すと、弱冠21歳でノルウェー南西部ベルゲンの音楽協会「ハーモニエン」(現在のベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団)のコンサートマスターに就任したのち、ライプツィヒ音楽院でアドルフ・ブロツキーに師事して2年間ヴァイオリンを学んだ。

    その後指揮者に転向すると、1893年から1899年まで音楽協会「ハーモニエン」の常任指揮者とベルゲンの劇場「国民舞台」の音楽監督を兼任、1899年から1929年までは「クリスチャニア国立劇場」の音楽監督を務めるとともに、この期間で作曲家としても数多くの劇付随音楽をほぼ独学で書き上げた。

    また、1894年にはエドヴァルド・グリーグの姪であるアンナ・グリーグと結婚している。

    ハルヴォルセン曰く、《交響曲第1番》の作曲に着手したのは1923年1月、彼が58歳のときであった。ここでは、作曲家としてのキャリアを長年積み重ねてきた彼が、晩年に至るまで「なぜ交響曲を書かなかったのか」という点に着目したい。

    そもそも、古典派以降の時代で「交響曲」に分類される曲は、ソナタ形式の楽章を1 つ以上含んでいることがその大きな特徴である。この「ソナタ形式」とは、曲前半に対照的な調性で提示される2つの主題が、曲後半では似通った調性で再現され、これによって主題間に生じていた緊張が和らぐ、という曲形式のことを指す。対立とその緩和が曲全体の物語を形成するという点において、ある意味では「交響曲とはソナタ形式である」と言っても過言ではないだろう。

    しかし、ハルヴォルセンが1923年までにソナタ形式で書き上げていた曲はわずか6曲に過ぎなかった。そのうち《弦楽四重奏曲》および《ヴァイオリン協奏曲》が彼自身の手によって破棄されていることも特筆すべき事実であろう。つまり、作曲をほぼ独学で学んだ彼にとって、高度な作曲技法が要求されるソナタ形式はとても高い壁であり、すなわちそれが晩年に至るまで交響曲を書かなかった大きな理由である、と言うことができるだろう。

    その一方で「なぜ交響曲を書いたのか」という点に着目してみると、彼が148作目にして交響曲の作曲に至った背景が見えてくるのではないだろうか。

    20世紀初頭のノルウェー国内は、第1次世界大戦の影響や1914年以降に行われた通貨の大量発行などによってインフレに陥っており、物価が急激に上昇していた。しかし、ハルヴォルセンが音楽監督を務めるクリスチャニア国立劇場は自治体からの十分な助成が得られず、劇場付きオーケストラ「クリスチャニア音楽協会」の楽員による賃上げ要求に応えることができなかった。1919年、賃上げ要求の度重なる拒否を受けて、楽員の多くは「フィルハーモニー協会」(現在のオスロ・フィルハーモニー管弦楽団)として独立する。その結果、楽員が大幅に減少したクリスチャニア国立劇場では以前のような大編成でオペラを上演することが叶わず、また年間8回開催されてきた「交響曲コンサート」は言うまでもなく休止を余儀なくされた。

    こうした状況により、図らずも音楽監督としての立場を超えた作曲活動に費やす時間が確保できるようになっていたことこそが、彼が自身の作曲家人生における最後にして最大の挑戦である「交響曲」の作曲に至った要因である、と考えることができるのではないだろうか。

    その作曲は挑戦であると同時に、彼にとっては大いなる喜びでもあったようである。彼は娘アーセに宛てた手紙で、19世紀のロマン派音楽の語法で書き進めている《交響曲第1 番》について次のように語っている。

    日に日に明るくなっていくことが、とても嬉しいのです……。この嫌な冬を払拭するために、ベートーヴェンを屋外に叩き出すような気持ちで作曲しています。素敵な五線譜をたくさん買ってきて、今はスケッチを始めているところです。さしあたり交響曲の第1楽章をスケッチで書き上げました。現代的ではないという理由で現代の聴衆は好まないかもしれませんし、ひょっとしたら後世でも評価されないかもしれません。しかし、私はそれを見越しながら、現在も未来もどうでもいいような気分で書いています。(1923年1月24日)

    初稿が完成したのは奇しくも彼自身の59歳の誕生日、1923年3月15日のことであった。

    その1ヶ月半後、ハルヴォルセン自らの指揮とノルウェー人を中心とした150名の大編成オーケストラによって初演が行われた。これは同時に、クリスチャニア国立劇場にとっては途絶えていた「交響曲コンサート」の復活でもあった。

    また、彼は初演時の新聞インタビューで自らの交響曲について次のように語っている。

    この交響曲は特定の表題を持ちませんが、私は「すべての音楽は標題音楽である」と考えています。(中略)私がこの交響曲の意味するところを書くと、それは人々に誤解を与えてしまうでしょう。しかし、私の交響曲のすべては私自身の人生の経験や気分を表しています。そして、自分の作品が非常に満足のいくものであると作曲家自身が感じ、またその作品が自己満足ではなく聴衆に影響を与えるのなら、それは作曲家冥利に尽きると言えるでしょう。(1923年5月1日)

    作曲家としても指揮者としても、そして音楽監督としても、ハルヴォルセンにとってこの交響曲がとても大きな意味を持っていたことは間違いない。また、この交響曲が「運命」あるいは「運命交響曲」の通称で広く知られるベートーヴェンの《交響曲第5番》を先駆けとする、ハ短調に始まりハ長調で終わる「暗から明へ」「苦悩から歓喜へ」という楽曲構成をとっているのも、単なる偶然ではないだろう。

    まさに、厳しい寒さの冬を乗り越えた先で雪解けとともに訪れる、暖かな春を待ちわびていたかのような交響曲である。

    ハルヴォルセンはその後、《交響曲第1番》と対をなすとされる《交響曲第2番》や、2度映画化されるなどノルウェーで広く愛されている《クリスマス・スターへの旅》の劇付随音楽などを書き上げたのち、71 歳でその生涯を閉じた。

    第1楽章 Allegro non troppo ハ短調 6/8拍子 ソナタ形式

    ヘミオラを用いた第1主題が1stヴァイオリンによってハ短調で提示されると、全合奏に広がって新たな推移主題とともに頂点を形成する。続いてオーボエによって変ホ長調で奏でられる第2主題は、同じ音高が三度繰り返されるのが印象的である。主題が他声部の提示する動機と絡み合いながら盛り上がりを見せると、展開部では2つの主題の断片と付随する動機が、音価を変え、奏法を変え、時には音列を反転させながら自由に展開されてゆく。続く再現部においては、第1主題がやや声部を入れ替えながらより複雑な形で再現されると、突如として全休止し、第2主題がチェロによってハ長調で歌われる。やがてティンパニの打ち鳴らす属音とともに結尾部へ突入すると、2つの主題の断片がハ長調で鳴り響き、最後は劇的な和声進行を経てハ長調の主和音で決然と締めくくられる。

    冒頭で提示される動機「ソ ‒ ミ♭ ‒ レ ‒ ド」が音価や調性を変化させつつ広く登場し、楽章全体に統一感を与える役割を果たしている。

    第2楽章 Andante 変ホ長調 3/8拍子

    生前に撤回された《ヴァイオリン協奏曲》第2楽章の転用と考えられており、冒頭で弦楽によって提示される変ホ長調の暖かな主題は、協奏曲でソロヴァイオリンによって提示される主題に由来している。オーボエの旋律と怪しげに下降する半音進行の動機が絡み合うと、牧歌的なクラリネットソロを経て各旋律の断片や動機をもとに曲は展開してゆき、冒頭の主題が朗々と再現されると最後は静かに消えゆく。

    形式にこだわらず動機の展開によって音楽を紡いでゆく、実にハルヴォルセンらしい緩徐楽章である。

    第3楽章 Scherzo Lento – Allegro con spirito ト短調 6/8拍子 複合三部形式

    靄がかった序奏ののち、下降音型の主題と木管楽器のソリスティックな主題によって6/8拍子の主部が展開される。続く中間部はノルウェー南西部の民俗舞踊ハリングの音楽が基になっている。ハリングはヴァイオリンによく似たノルウェーの伝統楽器ハーディングフェーレで演奏されることが多く、その音色は4本の演奏弦とは別に駒の下に張られている4~5本の共鳴弦によって生み出される独特の響きが大きな特徴である。細かな装飾音符やトリルがふんだんに用いられた民俗的な旋律が2/4拍子のカノンによって重なりつつ、共鳴弦の響きを模した声部なども加わり音楽は盛り上がりを見せる。やがて旋律に3連符が混ざるようになると緩やかに6/8拍子の主部へと回帰し、序奏と主部を組み合わせた結尾部で可愛らしく閉じられる。

    第4楽章 Finale(Rondo) Andante – Allegro deciso ハ短調 2/2拍子 ロンド形式

    深い森のなかで角笛の音が聴こえてくるような幻想的な序奏ののち、ヴィオラによって勇壮なロンド主題が提示される。このロンド主題に挟まれる形で、付点のリズムが跳ねる第1主題と映画音楽のごとく感情的な第2主題が姿を現すと、曲は唐突に全休止する。低音弦楽器と大太鼓が蠢くなかを第1楽章の2つの主題が様々な楽器に現れると、徐々にロンド主題へと回帰してゆき、全曲を通して初めて登場するハープの分散和音とともに第2主題が束の間の頂点を築き上げる。ティンパニの連打に導かれて結尾部へなだれ込むと、序奏で聞かれた跳躍音型とロンド主題の断片が響き渡るなか、曲はハ長調へと行き着き、小太鼓とともに最後まで一気呵成に駆け抜ける。

    (文責:川田泰義)

    「交響曲第1番」楽曲解説図

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    この図および相関図は、九州大学における研究の一環として試みられているものです。

    これらの図についてのアンケート調査にご協力をお願いいたします。

    九州大学 大学院 芸術工学府 修士2年 村里 暖

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曲目解説動画

指揮者の水戸博之先生と共に、第52回定期演奏会の曲目について解説する動画を制作しました。再生リストから是非ご覧ください。
(画像をするとYouTubeの再生リストが開きます。)

広告協力

編集後記

本日は、九州大学芸術工学部フィルハーモニー管弦楽団第52回定期演奏会をご視聴いただき誠にありがとうございます。 演奏会のプログラムが決定した2021年10月から、長きにわたって準備を進めてまいりました。

コロナ禍により多々悩まされることもありましたが、団員一同支え合い、たくさんの方からの助けにより演奏会を開催することができました。 ご支援、ご協力を賜りましたすべての方々に、心より感謝申し上げます。

今後とも芸工オケをよろしくお願いいたします。

団員一同

演奏会アンケート

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